皆様ご機嫌麗しう。こちらは随分と秋めいてきたニューヨークでございます。まあ、秋めいてきたって言うよりかは既にヤツ(冬)が来始めているな、という感じでございまして。本日はついに夏物の服を仕舞い、秋冬の服を出しました。さようならハタの夏。46歳の夏は超地味だったよ。今日に至っては現在の最高気温が18度。もう既に長袖シャツ一枚ではちょっと寒い、という状況に。まあなんだかんだ言って下手すりゃ10月末には雪降りますからねえ、ニューヨーク。そこを目指してどかんと気温が下がっていくわけでして。もう既に外を見るとすすきの穂が出ています。こちらの気温の変化は日本のように緩やかに滑らかに季節が移行する、と言うよりはもうタワー・オブ・テラーくらいの勢いで気温ががんがん下がっていきます。
でまあ、何をしているかといえば相変わらず地味な生活を繰り出しているわけですが。地味は地味ながらに地味な変化が地味にあるわけですね。以前住んでいたアパートが今度は新しい事務所になりました。とはいえ8月末にそこに引っ越して次の日からとんでもない肋間神経痛で2週間ほど事務所には行けず。ようやく今週に入り事務所でパソコンを使えるようにしたりして作業ができるようにできました。なので以前と同じ作業に戻るのは週明け以降、と言うことで気の長い話ではあります。
でまあ、涼しくなってきたついでにふと思ったわけですね。
ああ、そろそろ暖かいものが飲める季節になってきたなあ、と。
今までアイスコーヒーだの伊藤園のお茶だのを飲んで夏を過ごしてきましたが、それももう終わり。これからは暖かい飲み物を飲みたくなる日が続くことになるわけですねえ、ええ。まあそれはいいんですが。ただ、ハタも結構ないいお年頃。コーヒーに砂糖をどばどば入れて1日に何回も飲むのは流石に不安。
何が怖いってアメリカのアイスコーヒーの量。小さいのを頼んだってどう考えても350mlくらいはあるわけですよ。それをある程度甘くしようとしたら結構な量の砂糖が必要になるわけでして。砂糖減らせばいいじゃん、と皆さんはお思いになられるかもしれませんが、超甘党からしたら砂糖減らすと満足感が減るんですよ。でも満足自体は長く続かなくてもいいので、本当なら日本の缶コーヒーくらいの小さい目のコーヒーをちょっと飲めたらそれで十分なんですけどねえ。日本の缶コーヒーでも、350mlの缶コーヒーってあんまりないじゃないですか?日本人的には350mlはコーヒーの最大量ですが、アメリカではそこからスタート、ですからねえ。アメリカ人が飲んでるアイスコーヒーのサイズ、調べてみたら32オンス、って出てくるんですけど、
32オンスってほぼ1リットルですよ
でも流石に32オンスのでかいカップを持って歩いている人、そんなにいないよね?、、、と思いながら過去の記憶を手繰り寄せているのですが、あれ?あれれ?結構いたぞ?という記憶が頭の中からごそっと出てくるあたり、アメリカの食生活のヤバさが如実に反映されています。
ハタも流石に32オンスのカップは頼んだことはないもの、350mlでもついつい口寂しくなって飲んでしまうこともあるわけで、たまに飲むならいいものの、習慣化してしまうのはちょっと良くないなあ、と。なんだかんだ言って四捨五入したらもう50歳になるわけですし、健康にはそれなりに気をつけないといけないお年頃なのは自分でも自覚がありますからねえ。間違えてもまだ若いのに不摂生のせいで電動車椅子のお世話になってるアメリカ人みたいにはなりたくないわけで。
だったらもうそろそろこの辺で避けられない老化を見越してこれからはコーヒーではなく渋茶をすするジジイ、というゴールを設定するのはどうかしら、と。まあ都会の片隅のコーヒー屋さんで静かにコーヒーを嗜む老紳士、という萌え設定に自分を落とし込んでもいいんですが、ハタの場合そのコーヒーに砂糖とエヴァミルクとコンデンスミルクぶち込みますからねえ。方向性としてはシンガポールのフードコートで短パンとヨレヨレのタンクトップでコーヒー飲んでる歯抜けのおっさん。まあそれはそれで味わいのある老後ですけどねえ。
これはこれでいい仕上がり具合
まあコーヒーも砂糖さえ入れなければ健康上さして問題はなさそうな気がするんですが、ハタの頭の中ではコーヒーは砂糖を入れるもの、としてインプットされてますので、やはり多少なりともどうしても砂糖は入れてしまうなあ、と。でも日本茶ならそもそも砂糖を入れるというオプション自体が日本人としてあり得ないので、だったら砂糖なしで楽しめるお茶にスイッチしてみるか、と。日中ならある程度のカフェインも必要だしねえ、と。
とはいえ。さてどの辺から始めましょうか、と。シンガポールで買ってきたステンレス製のティーポットはあるものの、日本茶用の急須は持っておらず。家人はもっぱらあの一番安っすいリプトンの黄色いラベルのティーバッグがお好み、なので、緑茶が飲みたい、とかほうじ茶が好き、などと言う指向性は一切示さず。なので日本茶、となるとどうしてもハタ一人がちまちま飲むことになるわけでして。そうなると一般的にこちらで売られているティーポットなんかはデカすぎるわけですね。だからと言って小さいのを探すと今度はメイドインチャイナの明らかに質の悪い100均で売ってるような安っぽい急須を結構なお値段で買うハメになるわけでして。それはそれで嫌。
なんか良いものがないかしらん、と思いながらネットの海を探していたら見つけました。透明急須。厚手の透明樹脂でできた、小ぶりの急須。割れない、食器洗い機オッケー、あくまでも1人用、とハタの条件にはぴったり。どうやら日本では割と人気商品だったそうですが、これはいい!と言うことで調べてみたらなんとアメリカのアマゾンにも売ってたわけですね、ええ。これだったら日本で売ってる値段と似たような値段で同じもの買えるじゃん!と言うことで頼んでみたら翌日到着。最近アメリカのアマゾンは日本の品物をかなり扱うようになったので本当便利になりました。
このデザインをミニマルと見るか味気ないと見るかはその人次第
ということでとりあえず急須はなんとかなった、と。
あとはお茶。
緑茶。もうねえ。
すう(息を吸う)
抹茶抹茶うるさいわアホか
アメリカでここ数年話題のミラクルオーマイガーなもの。それは抹茶。どこに行っても抹茶ラテ。下手すりゃコーヒーなんかよりよっぽど刺激が強いのに、皆さん健康にいい、と信じて抹茶の味のしない抹茶ラテに砂糖ドバドバ入れて飲んでます。正直こっちのスタバとかに置いてある抹茶メニュー、あれ、実際は抹茶じゃなくてクロレラ粉末ですよね?と思うくらいの非抹茶感。もう抹茶ブームはピークを通り越してもう緑色だったら何でもいい、という抹茶ハイパーインフレが既に起こり始めているわけですが。あれですね、大麻と称して紅茶を吸わせてました、みたいな。
そんな中、「日本産の抹茶を使ってます!」みたいなのを売り文句にしてる抹茶ラテ専門店があるわけですよ、ええ。ほほう、日本産の抹茶ですか。それはそれは。産地はどちら?え?静岡?はぁ?
静岡の茶は平民の茶じゃボケ抹茶いうたら宇治茶様やろうがこの(略)が!偉そうなこと言いやがって安もん売り捌きやがってこの(略)は何が静岡産の抹茶が高品質じゃこの(略)そのおしゃれ髭一本一本毛抜きで抜きさらすぞこら
ハタの生まれは南京都。宇治もすぐそば。通学路は茶畑。狸は茶畑から出てくるもの、と決まってましたし、何だったらエロ本も茶畑から供給。茶畑こそ全てを生み出す母なる大地。実は知らない間にお茶の生産地の人間なのでした。今調べてみたら、ハタの生まれ育った街、全国的にトップクラスの銘茶の産地になってました。どうやらお茶の生産にはちょうど良い気候のようです。
実際おそらく南京都の人間はお茶に関しては良いものを飲んでいるのでは、と思えるフシがいくつかあります。やっぱり日本でも有数の高品質な茶葉の生産地のそばですから、お茶さんも身近にたくさんありますし、必然的に良い品質のお茶を飲んでいる可能性は否定できません。静岡の茶よ、お前に出る幕はない。
そして宇治茶とは南京都の人間が京都の人間に勝てる最後の手段。普段から京都市外に住んでいる人間を畜生以下のような扱いをする京都市民。その京都市民がプライドをかけて演出する「京都らしさ」、その鍵の一つであるお茶を南京都の人間は握っているのです。京都市民がどれだけ貴族のように振る舞ったところで、南京都民が宇治茶の生産をやめたら京都市民はお茶の一つすら立てられず。京都市民もあんまり南京都を馬鹿にしてたらそのうち小椋池から北の地域で宇治茶の供給止めちゃうよ?あの辺、元山城国一揆があった地域ですからね。なんかあったら蜂起しちゃうよ?自治始めちゃうよ?(脅迫)
南京都民の最後の切り札、宇治茶。日本最高のいやらしい中華思想の持ち主である京都市民をも屈服させられる最大の武器、宇治茶。嗚呼偉大なり宇治茶様。その宇治茶様を差し置いて、
静岡のど平民の粗茶を抹茶にするなど1億年早いわあああ(絶叫)
ちなみに調べてみましたが、2015年の抹茶の品評会で、静岡の抹茶はベスト50にすら入っていません。何で?宇治市民は品評会の先生とかに金の最中とか送ってんの?とか思いますが、まあ生産地による向き不向きなんでしょうね、やっぱり。
静岡のお茶を粉末にしてもそれは抹茶じゃないの❤️それはただの粉末茶。
やっぱり抹茶は宇・治・茶❤️
ということでして。南京都の人間としてハタは静岡のお茶は飲んではいけないのです。
宗教上の理由で静岡のお茶は飲めないハタ。とはいえ日本食スーパーにあるお茶は殆どが静岡産。しかもそんなに美味しくない。むかーし国鉄(否JR)で売ってた駅弁についてたお茶のボトル、あれくらいのクオリティを想像していただくと分かっていただけますでしょうか。まあ若者には全くわからない例えですが。
ネットの海を探したら画像出てきました
さあどうする。
まあでもNYにもちゃんと京都のお茶があるんですよね。これが。京都の老舗、一保堂がなんとニューヨークに店を出しております。いつできたかははっきり覚えてないのですが、多分ここ7〜8年だったように思います。まあ抹茶ブームが本格的に大爆発する直前にお店を構えたので、この辺のニッチなお商売にしてはうまく行っている方だと思います。なんか最近は一保堂ギャラリーという別のお店をマンハッタンのアッパーイーストサイドにオープンさせたらしく。お商売的にはかなり危険な匂いしか感じませんがうまく行っているのでしょうか。
昔ニューヨークにも虎屋があったんですけどねえ。あの頃はまだ和菓子というものが全く理解されていませんでしたから、結局撤退してしまいました。今なら抹茶ブームにあやかって案外ちゃんと営業できたかもしれませんねえ。タイミングって大事。
まあ当然こちらの一保堂のお店でも抹茶ラテを売ってはいますが、ここの抹茶ラテは宇治の抹茶を使った本気の抹茶ラテなので多分美味しいと思います。
一保堂ニューヨークのフェイスブックページより。今はコロナさんのおかげでせっかくのしつらえが色々と残念な感じだったので公式写真でご紹介。
ちなみのここのお店の2階はあれですね、某坂本龍一先生もお気に入りというので有名な嘉日という精進料理のお店でして。ハタも一回だけお正月にお蕎麦食べに行ったことがありますが、お蕎麦に鯖鮨、というアメリカ人の8割はついてこれない本気和食で大変美味しかった記憶がございます。
そういえばここのお店の隣の建物の入り口で汚い格好の白人の若い子が3人くらい体育座りしてぶるぶる震えてましたけど、あれですかね。お薬でバッドトリップですかね。しばらく震えとけこのタコが。
本来ならここでお茶の試飲とかもさせてもらえるのですが、コロナさんのせいでそういうサービスは休止中。残念ですがまあ仕方ありません。でもまあ今回ハタの意図と致しましては京都のお茶が買えたらそれでいい(まして高いお茶を買う気はさらさらない)という感じでしたので、ま、置いておられるお茶の中で安い目のものが買えたらいいわ、という感じで。パッとお店に入れてもらって適当に値段が下から2番目くらいのを選んでお買い物終了。これでとりあえずお茶も手に入ったぞ、と。
ということでほうじ茶と煎茶をゲット。これでようやくティーバッグでもティーポットでもない、日本茶に合わせたサイズの急須でお茶が淹れられる環境が整いました。まあ手間隙かかってますが昔から比べたら本当何でも手に入るようになりましたねえ。ほうじ茶一つとっても急須で淹れるなんて何年ぶりでしょうか。もしかしたらアメリカに来て初めて、かもしれません。日本に帰った時には時々番茶とかを買ってきてやかんに大量投入して飲んだりはしてましたが。
実際急須を使って飲んでみましたが、やっぱりペットボトルのお茶とは全然違うよなあ、と。
まあ当たり前ではありますが、改めてその違いにびっくり。いやー忙しい時にはペットボトルのお茶も便利ですが、やっぱりちゃんとお茶を入れて飲む、というのも大切ですねえ、としみじみしました。ほうじ茶は場合によっては結構煙臭いのがあって、それに慣れていないアメリカ人には敬遠されることもあるのですが、家人にも飲ませてみたところ、さして嫌な顔もせずに飲んでいたので、これだったら大丈夫そうだな、と。
今年の初はひと夏ひたすらラズベリー風味の紅茶を冷やして飲んでいましたが、これからは時々ほうじ茶だの緑茶を飲んでよりジジイ度をアップさせ、将来的にはタンニンを大量摂取して即身成仏を目指したいと思います。
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