みなさまご機嫌麗しう。
こちらは随分と秋も深まってきた感のあるブルックリンです。ちょっと前まで暑かったのに、ふと気がついたらもう街路樹が黄色く紅葉し始めていました。今朝の気温は12度。街ゆく人もすっかり秋の装いに。いよいよ秋本番です。
先日ですね、一人で事務所におりまして。ああ、秋だなあ、と思いつつ淡谷のり子大先生の全盛期の録音を聴いておりまして。
曲は「聞かせてよ愛の言葉」。
事務所から見える秋の空の美しさも手伝って、しばらくしみじみと聞き惚れておりました。この曲、確か美輪明宏さんも歌っていらっしゃるシャンソンの名曲ですが、個人的にはこの曲は淡谷のり子大先生バージョンの方が好みです。
まあ淡谷のり子なんてうちらの世代で言えば子供の頃にテレビで見た頃にはすでにおばあちゃんでしたし、たまにテレビで歌っていらっしゃることがあってもやはり全盛期の歌声とは違うわけでして。あのおばあちゃんの歌声に記憶がある人からしたら全盛期の淡谷のり子の伸びやかな歌声は衝撃的なものがあります。
今はありがたいことにこう言う昔のSP音源をデジタル化してノイズを消去しかなり良い音質で聴けるようになりました。ちょっと前まではこう言う戦中戦後に活躍した大歌手の全盛期の声を聞くと言うのは至難の技でしたが、技術の進歩で手軽に聴けるようになりましたね。まあCDが出始めた頃はまだこの時代のおばあちゃん歌手はご存命でしたので、CDで最新作がでた!と思ったらおばあちゃんのヨレヨレ声が克明に記録されている、という珍展開が続いた時期もありましたが(代表例:渡辺はま子)、流石に2000年を超えたあたりから皆さん彼岸に御渡りになられましたので、ノイズ除去技術の進歩も手伝ってかこう言う昔の素晴らしい音源が出てくるようになった気がします。
まあ実際一定の時期までこの時代の音楽がCD化される時は殆ど大失敗でしたねえ。編曲が当時の編曲じゃなくて変に80年代ポップス編曲になってたりとか、ストリングスの音がシンセで代用、とかもう泣くしかないような再発ものが山盛り。そこに息も絶え絶えのおばあちゃんの声が乗るわけですから、
「おばあちゃんダメ!そんないっぺんに息吸っちゃ過呼吸になるから!」
と、もう安心して聴いてられないわけです。まあそれはそれで趣が無いわけではないですが、音楽として素直に楽しめるか、と言われたら
まあ、どっちかって言ったらオノヨーコ物件ですよね、と。
(音程にスリリングさが出てきている渡辺はま子先生。しかしこの御歳でこれだけ歌えるってすごい)
今の流行はCDじゃなくてレコードだ、音楽聴くならレコードだ、と偉そうに抜かす自称オシャレ人間などが世の中にははびこっておりますが、こう言う人間はデジタル化によってどれだけ過去の音楽が今の時代に蘇ったのかご存知ないのかしら、と。辺境の音楽ファンとしてはCD万歳ファックレコードでございます。理由は簡単。
レコードは録音時間が短い。
ぶっちゃけインド音楽のラーガが丸々全部聴けるようになったのはCDが出てきてから、です。それまでは演奏時間がレコードの録音時間より長かったので、ライブ以外で完全版のインド音楽を聞くというチャンスは殆どなかったのです。まして民族音楽なんてそもそもレコードというメディアを前提して作られてませんから、レコードA面B面で綺麗に分かれるなんて言うことはあり得ないわけです。CDはそこの限界を打ち破ったわけで、ハタが喜んで聴いていた音楽はCDの技術なしにはありえないわけです。口を開ければバカの一つ覚えみたいにヴァイナルヴァイナル言いやがってこのおしゃれ番長がそのおしゃれレコード斜めに立てかけて夏まで放置すんぞ(暑さでレコード曲がる)
このような無知蒙昧の輩は今すぐ腹を切って死ぬべきである(又吉イエス風に)
それにしても淡谷のり子先生。こうして聴いてみると案外当時の流行バリバリの最先端だったことがわかります。別に和製ブルースだけ歌っておられたわけでもなく、タンゴからラテン、シャンソンもなんでもござれという幅の広さ。そしてどれもがエレガント。世代はずれますがジャズから民謡、演歌までなんでも歌いまくった美空ひばりの微妙な泥臭さからするとその歌声の優雅さは当時の歌手の中でも突出しているように思います。
(このCD今アマゾンで2万円になってますね)
と言うことでなぜか淡谷のり子先生について延々と独りごちる、というものすごいニッチな展開になりましたが、昨今の女子高生まがいの少女の猿みたいな声にうんざりした時にはしっとりと淡谷のり子先生の歌声に聞き惚れてみるのもいかがでしょうか。秋の空に流れる戦後間もないシャンソン。素敵じゃないですか。
あ、ハタですか?
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