正月無情

ということで皆様ご機嫌麗しう。

こちらも流石にお正月気分の長続きせず、今週頭からはすでに通常通りの生活をしております。今年のお正月もは儚い夢のように消えて行きました。アデューハタのお正月。また来年会えるのを楽しみにしております。


今までここしばらくは常夏の国・シンガポールあたりで過ごしたお正月。気温30度越えの大晦日、日本食スーパー明治屋にバスで一人で向かい冷たい讃岐うどんを食べて儚い年越しの気分を味わい、またある時は常春の国ロサンゼルスのタイ料理屋さんの麺を年越し蕎麦代わりにすすってみたり(そのまま大晦日にニューヨークに移動)など、涙なしには語れないハタのお正月秘話。ハタの人生からわかりやすい日本のお正月が失われて早十年近く。

2018年1月2日は近所の食堂でチキンビリヤーニ食ってました


しかし今年は年末年始はじっくりとニューヨーク。とはいえニューヨークの高級和食のおせちなんか高くて手が出せない。だったら今年こそお正月を自力で演出してみるのも良いのでは?と思い。できる範囲でやってみましょうお正月。


ちなみに初めてニューヨークにやって来た年のお正月は無事にここニューヨークで過ごしましたが、こちらの知人に「チベットのお坊さんの新年の儀式があるから行こう!」と言われ、軽い初詣気分で参加したところ、


いきなり参加者全員五体投地からスタート。


人生初五体投地。マンハッタンの古いアパートの暖炉にがんがん護摩を焚くチベットの高僧。数時間にわたるハードコア展開に為す術もなく翻弄されていました。

護摩壇って普通の暖炉で兼用可なんや、、、、



とはいえ本格的におせち料理のようなものに挑戦するのは今回が初めて。つまり家人もおせちは未体験な訳です。家人は砂漠出身のアメリカ人の保守的な味覚の人間。そういうわかりやすいアメリカの味覚の人間には結構難易度が高いメニューが並びます。この人が食えるおせち料理メニューは果たしてどの辺か、とも思いましたが、基本サンクスギビングもクリスマスも全部ハタが料理を準備したのです。


おめーのクリスマスは祝ってやったからこっちの正月も祝わせろ(強制)



ということで年末数日前あたりからスタート。ありがたいことに大都会のニューヨークですから、日本人もたくさん住んでおり、そういう在米邦人のための日本食スーパーもいくつかあり、とりあえずそこにいけばそれらしいものは手に入ります。流石に金時人参などは入手困難ですが、レンコンなどは最悪中華街にいけば手に入るし、それほど難易度は高くありません。黒豆などはとりあえず日本食スーパーにいけばありますし、そう考えるとおせちの主要部分を構成するメニューはほぼ自力でなんとかなります。流石に数の子などは一般的な小さな日本食スーパーでは手に入りませんが、まあそこまでして食べたい訳ではないのでその辺は省略可、ということで。今回初めて気がつきましたが、牛蒡って中華スーパーにも韓国スーパーにもありませんね。牛蒡って日本だけの食材なんでしょうか。


元旦当日朝一発目はぜんざいです


ええ、お雑煮じゃないんです。ハタの母方の京都北部丹後地方ではお正月はぜんざいを食べる、という日本でもかなり珍しい地域でして。なのでハタもその風習を受け継いでおります。これだけはシンガポールにいたときもお正月には必ず作っておりました。井村屋のあずきの缶詰超優秀。ですが今回は小豆を自分で煮て作りました。


そして食後は閑散とした近隣をふらっと散歩し、お腹が空いて日も暮れた頃から元旦のメインイベント、おせちディナーの最終段階に。まあ自分で一生懸命頑張ってみたんですが、


盛り付けに致命的なセンスの欠如を感じます。

まあハタの母も盛り付けに関しては相当センスがなかったので仕方ありません。

まあおせちだけではなんだか物足りないので、さらにお祝い気分を盛り上げるべく丹後地方のバラ寿司も作成。丹後地方ではお祝い事には欠かせない料理です。ハタの祖母がよく作ってくれたのですが、ある時完成した直後のお寿司の前で祖母が思いっきり蹴つまずきまして。

その時のお寿司にはハリウッドの手形かよ、というくらい綺麗な手形が付いておりました。

そういえばあの手でゴキブリを潰してたよね。おばあちゃん思い出をありがとう。


まあ繊細さには欠けるけれども薄目で見たらそれっぽい感じには仕上がりました。

家人もおせち初体験でおっかなびっくり食べておりましたが、まあものすごく苦手、とか、そういうこともなかったようで、これだったら来年以降年に一回くらい無理やり食わせてもバチは当たらんだろう、という感じで。おかげさまで自助努力のお正月2020、ハタの中ではそれなりの達成感が。


そしてお正月も数日で終わり。アメリカ人も正気に。年明けあたりから路上に捨てられるクリスマスツリーが祭りの終わりを告げ始めます。

そう、美しい夢もいつかは儚く消えてゆくのです。いつまでも続くと思われた美しい夢。それが終わりを迎えるとき、人が目の当たりにするのは現実という煉獄なのです。かつては彼もその美しい夢の住人として、光り輝く人生を送っていました。



もしこの夢が醒めてしまうのなら、この夢が永遠に続くようにすればいい。きっと彼はそう思ったに違いありません。美しい夢から醒めて、目を開けてしまうくらいなら、永遠に目を閉じていればいい。そうすれば、彼もまた永遠に夢を見続けられる。さようなら、醜い世界。ボクは今日、自由に夢の中に生きる決心をしました。ありがとう、クリスマスの美しい夢。ボクは今日も夢の中にいますー


いやああああああああああ死んでるうう(絶叫)





明日からアメリカの日常がまたやって来ます。

このブログをお友達に教えて、お友達も綺麗にしてあげましょう。イオナ。私は美しい。